0425

朝、起きられなかった。11時近くまで寝ていた。夜更かししたわけではなかった。起きがけに気怠さが肺の底に溜まっていて、きっとそれのせいだと思った。外は晴れていて、周回遅れで1日をはじめる。実家暮らしは毎秒蓄積されている罪悪感との戦いになる。

夜、食卓の写真を撮った。食事の直前、台所はけして狭くはないものの家族総員で行き来するのに向いたつくりではなく、つまりみんなで手伝う振りをしたところでそこには態度のほかに意味はないなとかねがね思っており、積極的にドロップアウトしたわたしはカメラを持ち出したのだった。いつかは撮ろうと思っていた。そのいつかは今であるような気がした。なんでもない写真を撮る、壁の外に出れば非常事態宣言の対象区域、実感を無視する。

高校生のころは家族が好きでないことにコンプレックスがあった。大学生になって、家族に恨みがないことに罪悪感があった。どちらでもない人の方がきっと多数派だと思えるようになって、今、ローコストな贖罪としてすすんで食器を洗う。食器洗いと洗濯、数少ない苦手じゃない家事だった。洗濯はもうほとんど、ボタンを押すことと干すことで完結してしまうので家事と呼べるかわからなかったけれど、あまり手が汚れることでもないし、何より手数が少なく正解が決まっているのでやりやすかった。掃除と炊事はとことん苦手で、これが潰れると家事のほとんどができないのだが、掃除はやることが多すぎたし、炊事は決めることが多すぎた。ひとり暮らしをしていた時も4年間生き延びることだけを目安に、必要最低限のことしかしなかった。例えば食事なら、いつも何を食べたいのか決めるので困ってしまうので、結局似たような野菜と鶏肉を買ってきて多目の水とともに煮ることばかりをしていて、不味くはないけれど人前に出すこともできないそれをわたしは餌と呼んでいた。