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アイス、あんまり食べなかった、食べ終わった後の虚しさがあまり好きではなかった。架空のノスタルジーを背負っているものがこの世の中にはいくつもあって、例えばそれはセブンティーンアイスクリームであったり、駄菓子はまだ実体験があるからいいけれど、女児向けアニメであったり、金曜ロードショーの映写機を回すおじさんのことも、おそらくは後からSNSで回ってきたから知った。お手軽に感傷を消費して、繋がりあったつもりになってなかった過去を肯定する。本当に本気でできたのなら、それは掛け値なく素晴らしいことだ。感情が動けばなんだっていいのだ。

また違う話。テレビを見るのが嫌いだった。本当は嫌いではなかった。家族とテレビを見るのが、見ている番組を家族に知られるのが好きではなかった。時間を共有することに抵抗がある。笑ったり泣いたり見入ったりすることのひとつひとつにジャッジが入るような気がして、きっとそんなことはなかったのかもしれないけれど、いつまでもいつまでもきっと悪気のなかったあんたそういうのが好きなの、を恐れていたような気がする。今だって、見られたくない。雰囲気でそういうものが好きなのだと思ってもらえればいいしもらえなくても良い、踏み込まれたくない。否定にも肯定にも必ずずれが含まれていて、そのずれでささやかな趣向を砕かれるのが怖かった、のかもしれない。実際にはそうすることでしか得られない強度があったのかもしれないということも想像すらしなかった。

今までにあまり話してこなかった人と文字越しに話をしていると、ささやかな壁が目に見えるようになる。答えるたび、これまでのことのひとつひとつを解体している気持ちになる。凝り固まった些細をつまびらかにしてばらばらにして、最後に何か残されるものはあるとしたら何であるだろうか。

反芻しかすることがないからいけないのかもしれない、悪いことばかり思い出してしまう。悲しかったことよりも悲しかったその時の体だけが帰ってくる、頭がぼんやりして何も許せなくなる。

明日こそ、自分でないものの話を書きたい。