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本当のことを言えば、火曜日くらいから吐き気とも違う乾いた圧迫感を感じてはいた。金曜日になって、胸の辺りがものすごくざわざわとして落ち着かず、作業をほんの少しすすめては水を飲んだり散歩に出たりしていたのに全然駄目で、何も手につかなくなってようやく作業が進められないので休憩させてくださいと言って横になったきり戻れなかった。支給の携帯でどうにか謝りながら今日送るはずだった資料は土日で頑張りますと送ったことは覚えている。よく覚えていないが、そのあとは寝るか泣くかしていた。

土曜日の朝に健康診断の予定を入れていた。体は重たかったが、近所だったのでどうにかたどり着くことができた。血圧が低かったようで、いつもこんなに低いですかと聞かれたがいつもの血圧を知らないので答えに困ってしまった。採血のとき血管を探されるのがやっぱり苦手だった。こんなところでたとえ機械的な処理だったとしても優しくされてしまうとどうしようもなくなってしまう。外は晴れていて、結果的に24時間ぶりになる食事をドトールで摂った。

帰って仕事をしようと思ったけれど、パソコンを開こうとしたらすごく嫌な気配がわっと立ち上がってきたので諦めた。いつの間にこんなに打たれ弱くなったのか。並行してやっていることの作業が佳境で、そちらはそちらで難しいので大変なのだが、手をつけることはできたのでまだ重い体で横になりながらやれることをする。

ここまで書いたら飽きてしまった。結論だけ書くと、状態はおおむね回復したが仕事には手をつけられなかった。それから自分の中に自分がいちばん嫌ってきた暴力性が自然なものとして根差し始めていることに気がつくきっかけがあって絶望的な気持ちになっている。そしてその暴力性がいまこうしてしている仕事のあり方に影響されていると考えられてしまうとき、わたしはこのまま働き続けることが果たして可能なのだろうかという疑問に至る。仕事は仕事と割り切れば良いというのは正論だし、その正論を採用してこの2年半を過ごしてきたわけだけれど、そもそも私はその正論で律され続けることが世間一般程度に可能なのか?今あたっている業務が、表向きはなんともないとはいえ2歩外に出ると自分の倫理に明確に抵触することとも関係しているのかもしれない。