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外を歩くときはカメラを持つようにしていて、気になるものをあてもなく撮っている。中古で買ったカメラはかなり昔の機種だったから1万円くらいで手に入った、買ってすぐにオートフォーカスが機能しなくなったので毎回毎回手動でピントを合わせるのだけど、モニターの画質も粗いのでなかなかその場で確認することのできない不便さであって、しかしそれも慣れてしまえばどうってことないのだなと腑に落とされてしまうから人間はやっていくには単純でいいなと思える。ピントがぴったりあっているとシャッターを半押ししたときにピピッと小気味いい音が鳴るようになっていて、散歩のたびにカメラを使っているうちに、すこし打率が上がってきたような気がする。気になる被写体はいつも光か枯れかけの花か影であって、光と陰はいまさら何かいうこともないけれど、花についてはやはり枯れかけのものが気になってしまうなということを何度でも再確認の気持ちになる。あるいは咲きすぎの花。そもそも適切にお行儀よく咲いている花に興味がある人なんてどれくらいいるのだろうか。

これも違う話になるけれど、すこし外に出たりすこしインターネット越しに人に会ったりするためだけにいちいち肌に塗り重ねるのもなにかと勿体無いような気がして、安いクッションファンデーションを買う。失くしてしまったアイライナーの後継も買う。なぜか安い口紅もひとつ買った。帰ってためしにつけてみるとこれが心が踊るという気持ちなのだな、着飾ることの本質の半分くらいはやはり自分の中にしかないような気分になる、すこし元気になれる。