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図書館から借りていた本を読み終わったけれどまるでなんにもわからないまま、目次を見たら思い出せることもあるだろうかと思えどあまりにも漠然としているので愕然、読みなおさなくてはならない、返却の期限まで日がない。

目をそらして、こちらに越し直してきたばかりの日にふらりと立ち入った古本屋で手に入れた文庫本をぱらぱらとめくる、もとから着いている紐の栞を無視して何やら挟まっていた新刊案内で目印とする。読みたいと思う詩集などのことを考える、それだけで温存するべき貯金の幾らかは飛んでいってしまうのだから恐ろしい。ところで温存ということば、なまなましくていいな、生きているままにすることは熱を保つこと、温度は意思によって保たれるということそれらへの素朴な信仰、温厚とのたまうわたしたち人間もまた生きものであること由来という感じがしてなんだかいいな。とかなんとか言っている間に。図書館が停止した。

件の感染症の文脈の中で、とうとうカウンター業務すら動かなくなってしまったことを半日遅れて知った。半分地下の、窓越しに見える決して広くはない空間が、そのまましんと止まってうす青くなってしまった様子がありありと思い浮かぶ。これから何を楽しみにすればいいだろう、今時代わりになるものなんていくらでもあることに気づけるけれど、そういうことをわたしは探していたのではなくて、本なんかなくたって生きていけてしまうことに、気づかないまま一生を終えたいのだ。

 

渋谷の様子、と検索窓に打ち込む、ときのかくかくとした奇妙な感じを何と言ったらいいのだろう。まったくいないには程遠くても、きっといつもから数えたらずっと少ない人の影が流れ、車の光が流れていく、その様子が荒い動画として通信される、いまここでわたしがその片端になる。初めてあの街までバスに乗ったとき、窓から見えた人の頭がそれであると認められないくらいたくさんの人の頭があって、バスを降りれば音と音と色と色と光と光、匂いと匂いのあらゆるものがわんわんと飛び交い殴り合い混ざり合っていたのを思い出す。いま、あの街は街として、人は人の形をして歩いていて、誰のことも殴らない。見えないところは知らないけれど、そういう形になっている。

そう言えば本にくっついている紐の栞にも何かちゃんとした名前があるらしいけれど、あれなんていったっけな。それだって随分とどうだっていいこと。