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その大仰なロマンチックはどこからきたのか言葉にしたことはあるのだろうか、そのサイズ感のままで願いを何と呼べば気が済むのか、(出社したがずっと頭が朦朧としていた、窓際でお昼を食べた、足湯のように日光を浴して、少し眠り、まだずっと頭が朦朧としていた、ぶつかりかけた女性の声がとてもきれいだったな)世界がすり減ったその分だけ私たちは呼吸を継続することができ

買ったまま取り込めていなかったCDをやっと聴けた。CDという形式に倣って、順序をきちんと規定されて聞く。デジタル化されたノイズを通り過ぎながら、ものとしての劣化を共にできないぶん、音は仮初の永遠であって、つまり愛着を離れた情報としての音楽をどこまで好きになれるかという試しが可能なはずで、それでもどうしてか不可能なのは物質以外にも何事かを見えてしまうからなのか、簡単に決着をつけたら楽しくないよ