0616

重力があまりにも強い。座っていることの苦しさにどうにか耐えている、梅雨。季節の記録として正確なのかは調べてもいないのでわからないけれど、状態としてはそう思っていて良いということにしている。日記を書かないと、とずっと思っていたのにメモ帳を開いてみればどうしていいのかわからなくなってしまう。ここ数日は調子が悪く、私が調子が悪いと濁すときは大抵体調のことではないのだけれど、言えるわけもないし、梅雨だし。仕事らしい仕事はしていないし仕事でわからないこと自体は何も辛くない、頑張ればいいだけ、辛いのは、私にとってそれ以外にあり得ない言葉が通じないこと、通じないだけなら構わないけれどあまりにも当然として否定されること、私にとって全く理解できない言葉を解釈しなければいけないこと。いつも曖昧だと怒られるが私にとっては彼らの言葉の方がずっと曖昧で大仰だ。曖昧の定義がまるきり反転するような気分。言語体系を二つ持たなくてはいけないのだとわかる。それはとても難しい、私は酷く不器用なので、両立などさせてあげることもできずせっかく育ち始めたものを失わなくてはならないような気がする。このところ自分の望む何をしていても恥ずかしいが、安易に恥じては全てを失ってしまう、それがどれほど大切なのかと言われたら私以外にとってはちっとも大切でなくて、こだわること自体醜いのかもしれないが、けれども私はここから剥がれることもできないので、大切は守りたい。自分の不当性を否定するために相手を貶めるようなことはしたくない。いつか私のような人を見かけたときに、そんなこともあったと苦笑なんてしたくない。図書館に出向けばすっかり明るく、きっと今年も夏至はくる。片道五分の帰り道、足が動かなくなる。空気の涼やかさは救いに似て、あんなに濡れたように鮮やかだった紫陽花はもう間も無く夢みたいに褪せている。