0708

関東地方は今日も強風が吹き荒れていた。雨の降らない台風のようで、猫の鳴き声にも似た音がびゅうびゅうと外に満ち満ちて真っ白になるのが窓の外に見える。まだ名前もつかない災害。誰かが死んだりいなくなったり、いままで通りでいられなくなったりするのを見聞きするときにだけ、自分が土と水のただなかに置かれた生き物であったことを、はっきりに近いところで捉えることができるような気がする。

家の固定電話と下四桁しか変わらない番号から携帯に不在着信があって、調べてみれば図書館、出てみればやや特別の本の返却期限を過ぎているとの連絡だった。絶対に忘れないようにと思っていたのに、返すための日付も覚えていたのに、肝心な今日の日付のことがまるで意識をすり抜けていたのだった(こんなにも毎日として日付を頭に据えているのにだ) 吹き付ける風でなおも白く荒々しく塗りたくられていく道を歩く、公園には親子がいて、ベンチに女性が座っていて、帰りに見たときにはベンチの女性だけが変わらずにいた。

好きな本が出る曲が出る、その日付や時刻をお守りのようにして生きる人たちのことを思う。少しわかってきた気がする。この数年を気楽に過ごしてきたからすっかり知らなかったまたは忘れていたけれど、日々はそもそもとして苦しいことが普通だったのかもしれない。毎日薄っすら鬱屈としていた義務教育時代の後半のことを思い出す。あの場所に帰っていくなんて虚しすぎやしないか。

 

咳。喉元から出るものだって気になる、もっと奥から這い出してくるものはもっと気になる。祈るような気持ちで肺を抱えて廊下を踏むカーペットを踏む。体には表面の感覚だけがあり、手の指と足の指にはなんの連関があるとも思えず、内側に肉があること、思い出すまで思い出せないとはこのことをいうのだと思い出すたびに思う。

音楽を、聞こうとする瞬間に着信。隣室も隣隣室も埋まっていて出られないから無視する間のふやけた退屈。少しばかりの罪悪感。抜けた歯を、枕の下にいれること。屋根の上下に投げること。どれも祈りで、祈りはとても貴重なものだと思う、断続的に用事があると日記が捗る、2面接1説明会よく頑張りました自分。